池袋の風俗の歴史について

池袋駅を訪れる方は世界でも屈指の数を誇りますが、ここまで池袋に人が集まるようになったのも少なからず風俗のお陰でもあるのです。
今回は池袋の風俗の歴史について書いていこうと思います。

「池袋」と呼ばれた理由

池袋と聴くと、現代の池袋では「池」なんて何処にもございません。

豊島区ほぼ全域がコンクリートが敷き詰められ、池があるようなの長閑な雰囲気は皆無です。

 

高層ビルが立ち並び、雑居ビルや商店街、複数路線が乗り入れるビッグターミナルな駅がある大都会なのです。池の「い」の字も見つかりません。

ですが、かつてこの池袋でも1800年後期から1900年前期では袋型の大きな池があり、地名が池袋になったそうです。

 

日本の地名の多くはその地域の特色や特徴から地名にする事が多く、この池袋もその事に倣ってつけられた名前なのだそうです。

当時の池袋の情景は広大で長閑な湿地帯だったそうです。農家が多く、都内でもかなり田舎な町だったようです。

今ではかつてここに袋状の池があったなんて想像もつきません。発展というものはすごいですね。

 

駅が出来てから急速に発展していく池袋

当時、ど田舎の池袋には交通手段というものがなかったようで、特に何かあるという町ではなくイメージとしてはだだっ広い農村のような所だったのではないでしょうか。

しかし、そんな池袋にも転機が訪れます。1900年初頭に駅設置の計画が進み、1903年に鉄道駅が開設されたのです。

 

何も無いただ、だだっ広い所だったので新橋方面へ線路を分岐させるには十分な土地が余っていました。そのため、池袋が駅制作の候補に上がったのです。

そして1903年に駅が開設されてからというもの、池袋は目覚ましい勢いで急発展していくのです。

 

年代は不明ですが、池袋駅が完成して間もなく西武鉄道、東武鉄道が乗り入れるようになり、

東京都内の北方面や東方面の玄関口としてビックターミナルになったのです。そでにこの頃から現在の池袋駅になる片鱗を見せていたのです。

 

池袋駅周辺から風俗店舗ができはじめた

その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、終戦後の池袋駅では闇市ができ、労働者の宿舎が多く立ち並ぶようになったのです。

交通の便が良い池袋駅では必然的に人が多く集まる場所になっており、出稼ぎで働きに来ている労働者にとって池袋は衣食住に困らない便利な街になっていたのです。

 

労働者の宿舎が多く建設されたことにより、女性を連れ込む労働者も多くなり、連れ込み宿に時代と共にシフトしていったのです。現代で言うラブホのようなものです。

こうなると自然発生するような形で性的なサービスを展開する風俗店が出てくるようになり、池袋の街に風俗が広まっていったのです。

 

これが現在の池袋になる所以だったのかもしれません。そうでもなければ、現代のような歓楽街にはなっていないでしょうし、

ここまで風俗店やラブホテルの多い街にはならなっかたのではないでしょうか。

 

まとめ

ほんの少ししか池袋の風俗の歴史に触れておりませんが、現代の池袋の街になるまでの経緯はなんとなくわかって頂けたかと思います。

かつては田舎だった池袋がここまで姿を変えているとは、先人の方たちも想像できなかったことでしょう。

ここまでの目覚ましい発展があったからこそ今の池袋があるわけですから、感慨深いものがあります。